矢作兼さんの実家は東京都豊島区
矢作兼さんの実家は東京都の豊島区です。おぎやはぎのラジオ『メガネびいき』では、 「池袋までは歩いて行ける」ようなことを言っていたので池袋駅から割と近いのではないでしょうか。
しかし、3歳までは山梨県の富士吉田市に住んでいたそうです。その時は父方の実家に住んでいたそうですが、その時はもう矢作兼さんのお父さんとお母さんは別居していました。
そして矢作兼さんが3歳の時、矢作兼さんと矢作兼さんのお姉さんが遊んでいたら、突然お母さんが車でやって来て、矢作兼さんのお姉さんと矢作兼さんを乗せて拉致していきました(笑)
拉致って、言い方w
矢作さんの予想だと、お父さんのギャンブル癖や酒や女性問題で別居していて、子供である矢作兼さんと矢作兼さんのお姉さんを奪い返しに来たんだそうです。というか、絶対そうですよね(笑)
母子家庭の矢作兼さん。壮絶な生い立ち…!
実は矢作兼さんの家は3人兄弟で、一番上にお姉さんがもう一人いたそうですが、その一番上のお姉さんは拉致に失敗し3歳の時依頼、音信不通だそうです。
マジで生き別れじゃん…。
奪還に成功した下のお姉さんと矢作兼さんは、東京のお母さんの実家で育てられることになりました。それが矢作兼さんの実家である東京都豊島区の家だったんですね。
なので、実家は正確には山梨県と言うべきか、東京都と言うべきかはちょっと微妙なところです。
離婚の原因はお父さんの駄目さ加減。絵に描いたような駄目っぷりで、 飲む・打つ・買うが生き甲斐の完全なるダメおやじだそうです(笑)
一緒に育った矢作さんのお姉さんは、東京でファッションデザイナーとして働いてるそうです。矢作兼さんがおしゃれなのも納得がいきますね。矢作兼さんはお姉さんとも、お母さんとも仲が良く海外旅行に一緒に行ったり、ご飯を食べたりするそうです。
矢作兼さんは車を運転していた時にその時話題になっていた NHK のみんなのうたの『私お母さんだから』という曲を聴いて号泣してしまったそうです。
この曲の内容としては
「私、お母さんだから子供のためにいろんなことを我慢する。もっとやりたい事もいっぱいあったけど、子供のために頑張る。それでもあなたを産んでよかった。あなたと出会えたんだから。」
といった内容です。 確かにこれは感動してしまうかもしれないですね。特に母子家庭である矢作兼さんは、より一層この曲の重みがわかるのではないでしょうか。
泣いた。
この曲は Twitter で炎上してしまったそうですが、私はとても良い曲だと思います。
矢作は大変な幼少期を送っているから、あんなに人に優しく出来るのかも知れませんね。
以上になります。
いかがでしたか?
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ありがとうございました。
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